かなり憎いです。当然です。
私は上京したらすぐ、大学にスーツで入学式に参加し、時間割が決まったらアルバイトを始めて、そのバイト代で欲しい機材等を買い、人とカラオケしたり食事したり、都心部まで行く、ライブへ行くなど、夢のような日々が送れるだろうと思い描いていました。
1月に入って武漢の市場で新型コロナの集団感染が起きたニュースをネットで見た時、私はこのウイルスは観光客経由で日本に入ってくるのではないかという予感がしていました。
そして、予感は的中しました。そしてあちこちにあっという間に広がりました。私は、この感染症はインフルエンザと同時に落ち着くと思っていました。
しかし、一向に収束する気配は無し。日本でも死者が発生。大学の入学式は中止。
そして感染者が陰性と診断された後でも症状が治まらない後遺症が残る可能性があるというニュース、そして日本のみならず世界が震撼し悲しんだ、日本のコメディアン「志村けん」さんの新型コロナ感染と、それが原因の肺炎による死去。
いよいよこれはまずいことになったと感じました。そして外国では都市封鎖。
日本ではいつ行われるのやらと思っていたら、地方からどんどん緊急事態宣言を発令し始め、それに乗っかるように経済的影響の高い大都市も緊急事態宣言を発令し、給付金10万円の支給。
自粛や、仕事が激減したことによって経済活動の限界を感じた企業は破産もしくは倒産し、2020年になったばかりの時には考えられなかった最悪の状況となってしまいました。
自粛続きで大学での授業にも影響が起こり、本格的に始まったのは6月に入ってから。本来5月上旬から始まるはずでした。その全てはオンラインによる開催。Zoomなどを利用したリモート授業。課題のみ提示しZoomはやらないという授業までありました。
夢見た大学生活も全て吹っ飛びました。音楽活動もです。
夏には、2021年に出る予定のtashiISM IIIの曲の中から厳選して曲をリリース出来ると思っていました。Starting Over 〜2020〜の完成版もアップできると思っていました。しかし、未だアップ出来ていません。どれもこれもコロナの影響です。
しかし、Starting Overの完成版はじっくり考える時間と、結局頓挫したStay Home応援用の歌詞違いバージョンの別アレンジの構想があったため、全く違うアレンジになって生まれ変わりました。これで次のアルバムには新曲として入れられます。
そして、コロナの影響を受けて、バラードナンバーとハードロックナンバーを書き上げました。最初、バラードナンバーの方はU2に影響されて最初は作ってましたが、どんどん変わって行き、最後はかなりミクスチャーなものになりました。ハードロックナンバーの方は、ここまでギターが攻撃的で、そしてコピーしたくなるようなリフをよく思い付いたなと、私自身を褒め称えたくなるようなものになりました。
その後もその延長線で、ネタソングのつもりで書いたパンク調の曲、倖田來未さんのようなタイプの女性ボーカルが似合いそうなEDM風の曲、テンポの速い前向きな感じの卒業ソングといった物を次々に書き上げて行きました。これらはIIでなくIIIに入るかもしれない曲です。
そして話は戻ります。
9月になってようやく大学が始まり、私は週に2~3回キャンパスに通っています。
週のうち1日は、私の自作曲をレコード会社や作家事務所とコネクションのある教員に聞かせて、アドバイスを貰い、自主的に実践力を付ける日としています。
先述の「卒業ソング」に関してはメロディーができた時から、今までにない「確信」が生まれたほど出来が良いので、是非男女を問わず歌ってもらいたいと考えており、大学の教員に「歌の上手な生徒を私に紹介していただけませんか」と依頼をしています。
作詞ももしかしたら外部委託になるか、私が教員にアドバイスを貰いながらある程度仕上げて、そこから歌手さんと話し合って共同で書き換えて行くことになるかもしれません。
これに関してはまだ分かりませんのでなんとも言えませんが、進展がありましたらこちらに書かせて頂きます。もしこの話が無しになれば、私が歌って3月にTuneCoreをディストリビューターとし、私の新曲として配信するかと思われます。どちらにせよ、MVが作れないので、今回のはリリックビデオでYouTubeにも上げ、収益化もしたいところです。
ということで、最初はコロナの暗い話題でしたが、最後になるにつれてまあ明るい方へは話題を持って行けたかなと思います。
それでは、また次回のブログで。